精神保健サービスにおける強制(原語 Force)

――国際的ユーザー・サバイバーの観点から メアリー・オーヘイガン 基調講演 世界精神保健連盟総会  オーストラリア メルボルン 2003年

用語の説明

強制(Force):法で認められた精神保健サービスの強制的介入を指す、 ユーザー・サバイバー運動の用語 ユーザー(あるいはコンシューマー):強制的介入の減らしていくべきと考 えている精神保健サービスを使っているあるいは使った経験のある者 サバイバー:強制的介入をなくすべきと考えている精神保健サービスを 使っているあるいは使った経験のある者

前書き

 世界中の多くの国の精神保健関連分野で熱く激しい論争が定期的に繰り 返されてきています。人権、保護やケアの義務、個人の責任、精神病の本 質そして精神保健サービスの目的について、この論争は根源的な問題提起 をしています。とりわけユーザー・サバイバー運動が起こって以来のこの 30年間白熱した論争が繰り返され、異なった利害関係者のグループ間で非 常に高い緊張状態を生み出してきました。北半球のユーザー・サバイバー 運動の分断を生み出したのもこの論争でした。この論争が問題となってテ ロを行うことまで考えるごく少数のサバイバーすら生まれてきたのです。  私がこの論争といっているのは、すなわち犯罪も犯していない精神障害 と診断された人々に対して、精神保健サービスが合法的に強制的介入をす ることを正当化できるのかどうか、ということです。  この論争を支配している利害関係者、たとえば精神保健の専門家、政治 家そして家族は強制的介入の合法化制度化を支持し強化していこうとする 方向にあります。彼らの考え方はよく知られており、文書にもされ、そし て強制的介入を許容している世界中の法律に十分反映しています。しかし これらに比較して強制的介入をより少なくあるいは全廃しようとするユー ザー・サバイバーの考え方は片隅に放置され知られていません。まだ私た ちの考え方は、理念のレベルでも、法制度のレベルでもそして実践のレベ ルでもなんら大きな影響力を行使していません。このこと自体を変革しな ければなりません。  私はこの論文で、強制をめぐる論争においてユーザー・サバイバーの観 点を中心に据えていこうと考えています。この論文は強制を巡るあらゆる ユーザー・サバイバーの考え方を拾い上げていないかもしれません。しか し、文書化されておらずまた公にもされていない多くの知識をもって私は 最善を尽くすことはできると思います。  第一部では、ユーザー・サバイバーはどのように強制を体験し、それに 対する私たちの見解は何か、ということを説明します。

第一部 ユーザー・サバイバーの強制に対する考え方

強制の体験の共有 時代と文化を超えて普遍的に何百万ものユーザー・サバイバーが強制的介 入の被害を受け続けてきました。1739年にアレクサンダー・クルーデンは 狂気を根拠とした強制についての考察を書いています。これは知られてい る限り英語では最初の文献です。彼は強制は彼自身に対し「不正と恣意的 な最悪な形態」で行われたといってます。1838年にジョン・パーシバルは 自分自身と他の人の強制の体験を「多くの不幸な犠牲者を生み出す無思慮 な行為」と表現しています。エリザベス・パッカードは1868年に精神病院 での「囚人」としての「隠された生活」について書いています(Perterson 1982, Porter 1996) 20世紀になっても事態はより公正になったとはいえません。20世紀には 何百万もの人が人生の大半を精神科施設に拘禁され強制的に治療されるよ うになりました。20万人以上の様々な精神障害者が、精神保健専門家の協 力のもとでナチスに拘禁され殺されました。20世紀後半にはソビエトと中 国の精神科医は政治的反体制者を強制的に拘禁し治療しました。これに反 対する西側世界の精神保健専門家と人権活動家たちは、自分自身の国で、 普通のユーザー・サバイバーに対して、これと同じ不正がなされているこ とを認識しませんでした。 この物語は21世紀になっても続いています。今日でも何百万もの市民が 多くの国で、どこに住むか精神医療を受けるか否かを決める自由を奪われ ています。この瞬間にも日本、メキシコ、ザンビア、ドイツ、オーストラ リア、米国といった様々な国で、ユーザー・サバイバーは強制を体験しそ れに苦しんでいます。 ユーザー・サバイバー運動 歴史  1970年代初頭、アメリカ沿岸と北ヨーロッパでユーザー・サバイバー運 動が始まるまで、組織的なサービスユーザーの発言はありませんでした。 運動の初期には、精神医療における強制の廃絶に焦点があてられました。 80年代に運動が成長するに従い初期の活動家に加えて、精神保健サービス にも利益があるとみなしサービスの改善を求めるユーザー・コンシュー マーが運動に参加してくるようになりました。一定の条件下ではある種の 強制も有益なこともあるという信念を公表するユーザーも出てきました。 ユーザー・サバイバー運動へ影響を与えてきたもの  ユーザー・サバイバー運動も文化的真空状態にあるわけではありませ ん。過去30年間のいろいろなイデオロギー、運動そして知的風潮は、強制 に関するユーザー・サバイバー運動の立場に影響を与えてきました。運動 は女性解放運動、ゲイ解放運動そして公民権運動をもたらした同じ歴史的 なうねりの中で解放運動として始まりました。これらの運動の中では被抑 圧者は自己決定権を主張したのです。当時反精神医学は、ユーザー・サバ イバーに精神医療とりわけ生物学学的モデルに基づく精神医療の基本に対 する知的批判をもたらしました。北アメリカでは国家は個人の人生に責任 をもつべきではないという自由主義者の思想が運動に影響していたことは 疑いありません。消費者運動の影響下改良主義者は消費者としての権利主 張を認めることを運動の目的とする方向に拍車をかけました。  ユーザー・サバイバー運動は法的拘束力もある国際人権章典(訳注…世 界人権宣言、国際人権規約A規約とB規約)も含め、国際的な人権基準を活 用してきました。人権章典は、何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若し くは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはないとし、そして何人も移 動の自由、思想信条の自由、表現の自由の権利があるとしています。精神 医療における強制はこれらすべての条項を侵害しているとユーザー・サバ イバー運動はみなしています。  障害者運動一般は障害の社会モデルにより、人に障害をもたらしている のは損傷のある個人ではなくて社会であると主張しています。この主張に ユーザー・サバイバーは非常に強く共感します。最近障害学の学者や活動 家はポストモダンの分析を彼らの言説に付け加えるようになりました。彼 らは現実とか真実というのは不確かなものであり、多義的であり、文脈上 で変化するものであり、主観的なものであるとしています。精神医学とい うような学問分野はすべて啓蒙時代後の合理主義、科学そして総合的理論 の土台の上に築かれたのです。ポストモダンの理論は、それまで精神医療 が享受していた知識の独占を精神医療から奪いその知識の独占を否定しま した。また最近では巨大な多国籍製薬企業、低所得の国への西洋精神医療 の拡大を懸念することから、反グローバライゼーションの運動と重要な連 携をとるサバイバー運動もでてきました。 強制に対するユーザーとサバイバーの立場  ユーザー・サバイバーは強制の問題に関して完全に一致しているわけで はありません。しかし彼らの考え方は、様々な多様性がありながら最終的 には、強制をごく例外的に少なくするあるいは全廃するという方向では一 致してます。  すべての強制医療は誤りであり、さらに普通の場合でも拘禁されるであ ろう重大犯罪を犯した人に対して以外のすべての拘禁は誤りであると信じ ているサバイバーもいます。  ユーザーは限定された条件下では強制的拘禁も正当化されうると考える 傾きがあります。しかしユーザーの多くは、強制医療は移動の自由以上に 基本的な人権を侵害するので、強制医療はあってはならないと考えていま す。強制的拘禁は単に人がどこにいるかを統制するだけなのに対して、強 制医療は人がなにものであるのかまでを統制してしまうのです。  ユーザー・サバイバーが地域での強制医療に反対し、そして隔離と身体 拘束に反対することは普遍的であると思います。  ユーザー・サバイバー運動の誰もが、最低限以下の原則に従い、強制力 の行使の減少を望んでいます。 *厳しい基準  あるとしたら強制の適用基準は重大な緊急のあるいは今まさにある自傷 他害に限定されるべきです。しかし多くの法的権限では、これより広い基 準が用いられています。とりわけ地域での強制医療を認める法律において は基準は緩められています。なんらかの保護的な環境は必要ないのに、自 傷他害の基準に合致した人というのを想像するのは困難だと多くの人は考 えるのではないでしょうか。ですから、地域での強制医療を許容するため に強制の基準は拡大されてきたのです。  たとえ法律が相対的に狭い基準を取っていたとしても、実践の場では地 域での強制医療を決定するにあたって事実上これらの基準を拡大されてし まいます。たとえば最近のニュージーランドの調査(Dawson et al, 2002)で精神科医と地域精神保健の専門家が地域での強制医療命令を出す 際の意思決定に影響する因子を評価することを求められました。最も重要 な因子としてあげられたのは、専門家との面接や患者を処遇する当局への 出頭、服薬の厳守などを確保するということでした。精神保健法の基準、 すなわち自傷他害の危険の減少のためという基準に近い因子は、12の因子 のリストの9ないし10番目に置かれていました。 *緊急時においてのみ  強制は救急的介入のみであるべきで、重大で緊急のあるいは今ある危険 が持続する間だけでなければなりません。将来の緊急事態を避けるため、 あるいは服薬遵守を強いるため、また人々の状態を維持するために使われ てはなりません。今日多くの精神保健立法は、とりわけ地域での強制医療 を認める立法は数ヶ月間や数年間の個人に対する強制の拡大を許していま す。 *実際の行為のあとで 犯罪を犯す危険があるとみなされてはいるがいまだ犯罪を犯していない 人に対して、強制が予防拘禁や予防的治療として使われてはなりません。 こうした予防的措置は刑事司法体制の中ではあり得ないのに、精神保健体 制の中で認められるというのは二重基準そのものです。さらに精神科医は 確実に将来の暴力を予想することはできないことを認識しています。運動 の中でさらに自由主義的な人たちの中には自殺しようとする人たちへの強 制的拘禁すら決して正当化されないと考えている人もいます。しかし重大 で緊急の自殺の危険のある人に対しての短期間の強制的拘禁も一定の役割 はあると見る人たちもいます。 *最大限の自由と選択  強制医療、隔離あるいは身体拘束の脅しなしの安全保障感をもてる、可 能な限り自由な環境を前提として、やむをえないものとして強制は行われ なければなりません。病院という環境はこうした最大限の自由と選択を保 障しません。重要なことは強制に甘んじざるを得ない人はまずその前提と して病院や医療体制の基準を超えた本質的な選択が保障されるべきだとい うことです。 *最後の手段  強制はほかの選択肢が提供され試され考慮された後の最後の手段である べきです。 *適正手続き  強制が行われるなら、それを強いられる人への尊厳を守り法的あるいは その他の形態の権利擁護を使える手続きを整えなければなりません。精神 保健立法においては人権擁護と権利保障の手続きが確保されなければなり ません。しかしそれはあまりに多くの場合存在しないのです。 強制の陰にある仮説についてのユーザー・サバイバーの観点  精神医療における強制を正当化する二つの核心的な仮説があります (Carter,2002)。第一の仮説は重大な精神的苦痛にある人は自分自身の人 生に責任をとる能力を失っているというものです。第二の仮説は精神保健 サービスはこうした人たちにとって役立つというものです。これら二つの 仮説は精神保健上の問題を解説し治療するのに生物学的モデルが使われる 文脈の中で意味を持ってきます。ユーザー・サバイバー運動はこれら二つ の仮説と生物学的モデルに挑んでいます。なぜならこれらは精神保健サー ビスで強制力を行使する道を作るのに役立っているからです。 *人格的責任能力の喪失  社会精神医学モデルよりも精神病の生物学的モデルの純粋な形態におい ては、人は自由意志と人格的な責任能力を弱めたり破壊する病理の犠牲者 とみなされます。したがってサービスの利用者は自分にとって何が一番利 益になるか認識できず、職業的専門家が利用者の最善の利益のために必要 とされるのです。利用者が治療を受けたりサービスを使うのを拒否するの は、合理的選択ではなくてむしろ利用者の無能力と病状の証拠とみなされ るのです。 *精神保健サービスは役に立たない 強制的介入が正当化されるためには役に立っているとみなされる必要があ ります。しかし強制を強いられたユーザー・サバイバーの経験の多くは役 に立っているという見方を裏付けていません。彼らはたとえば抗精神病 薬、電気ショック、強制的拘禁、隔離と身体拘束といった強制的介入を受 けた経験を破壊的なものとして受け止めている場合が多いのです。約3分 の2の人しか向精神薬の多くが有益ではないということは広く知られてい ることです。薬から利益を得ている人にしても服薬の利益より重い不利益 な副作用を経験している場合が多いのです。 強制が実践されるときのユーザー・サバイバー  ユーザー・サバイバーは精神保健体制そして社会総体において直接的に しろ間接的にしろ強制の使用を促進するいくつかの条件を認識してきまし た。 *施設サービスの哲学  施設精神保健サービスの精神は強制の使用を伝統としています。こうし た種類のサービスは施設だけではなくて地域でもいまだ普遍的です。こう したサービスは、パートナーシップよりはパターナリズムを、生物学的モ デルの支配を、サービス利用者個々人の責任能力の消失をそして回復より は慢性化の予測を顕著な特徴としてます。またこれらのサービスでは患者 の権利やインフォームドコンセントは、真剣にとらえようとされない傾向 があります。 *権利擁護の欠如  すべてのサービス体制、特に自由を制限するおそれのあるサービスにお いては、権利侵害に対抗する総体としてまた個々人としての権利擁護体制 が必要です。権利擁護が存在しなかったり弱かったりすれば、また誠意を もってサービスの利用者の視点を受け入れかつその視点を活用しようとす るものが誰もいなければ、強制は確実に増加してしまいます。 *サービスの失敗  強制の使用を生み出している精神保健サービスの日常的条件に対して、 ユーザー・サバイバーははっきりと批判しています。以下の例のような悪 しき実践やサービスの失敗が強制の使用を決定する原因となっている場合 があります。 :危機を避けられるよう支援できていないこと :危機的状態になったときに何をなすべきかについてサービスの利用者と 取り決めておくための丁寧な配慮に欠けていること :強制的鑑定や治療の対象とされない場合の救急用の病床が不足してい て、専門家も病床を確保できないこと :危機的状態の人のための代替的治療や居場所の選択肢がないこと。危機 的状態になったとき薬と病院以外の手段が何もなくて、専門家は利用者と 何も取り決めることができないということ *地域社会の妄想  地域社会の思い込みと期待もまた強制の使用を促進します。地域社会は 精神病と暴力を結び付けて捉えており、地域社会の思い込みにより強制の 使用の増加に向けて、政治家、官僚、そして精神科医に圧力がかけられま す。これに加え地域社会総体は自らの責任を放棄し、いわゆる精神病で危 険な人たちを街から追い出して隔離しておくことを精神保健サービスの全 責任として押し付けるのです。これらの圧力によって精神保健サービス内 では必要以上にそして本来求められている以上にリスクを避けようとする 文化が生まれています。これに対して強制を使う側の専門家はメディアの 熱狂あるいは根拠のない調査をかわすのに失敗しています。 ユーザー・サバイバーにもたらされる強制の深刻な被害  強制の使用がいかなる利益の可能性をも圧倒する重大で否定的な被害を もたらしうることは、多くのユーザー・サバイバーが認めていることで す。本来回復を目指しているはずのいかなるサービス体制にも社会にとっ てもこれらの被害はあまりに高価な支出です。 改善をもたらさない  ユーザー・サバイバーは強制医療は改善をもたらさないと論ずることが よくあります。たとえば地域での強制医療の有効性を追認する説得力のあ る調査結果はありません。ニューヨークで地域での強制医療の対象となっ ている人と同じような集中的なサービスの利用を保障されている人との比 較研究がされました。結果は、地域強制医療の対象者は治療への「遵守 (コンプライアンス)」において対象者以外の人より改善が見られたという ことはなく、また入院となった割合にも期間にも違いはなく、そして逮捕 あるいは暴力行為についても違いはありませんでした(Policy Research Associates 1998)。ノースカロライナの研究(Swartz et al, 1999)にお いては自発的な医療を受けている対象者に比較し強制医療命令を受けてい る人のほうがいくらか良い結果がでています。しかしノースカロライナの 研究結果を検証してみると「ACT(訳注:地域精神医療体制のひとつの手 法。サバイバーからの批判はありますが少なくとも法的強制医療体制では ない)のみの研究で得られた改善結果より優れた改善結果」を達成してい るわけではありません(Ridgely et al,2001)。 *依存  強制は受動的な服従と依存を生み出すことがあります。精神保健上の問 題を抱えている人がほかの成人の多くと同様に権威主義から自由ではない ことはよくあります。問題が始まったときに、典型的には成人期の初期に はじまった場合、精神保健体制の権威主義は両親や教師のそれにとって代 わりうるのです。そうなると、完全な成人としての立場そして成年として もたらされる自由の拡大を決して体験しないという危険を冒して、青年期 が延長したような状態となってしまうのです。相反した思いを多かれ少な かれ感じながらもこの人たちは強制によって面倒を見られ守られていると 感じてしまうこともあります。しかし自分の人生に責任を負う力が自分に あるのだという信念を強制によって弱められてしまうのです。 *心的外傷  強制が使われる過程とそこでの技術は、精神保健上の問題を体験するこ と自体よりむしろ大きな心的外傷を与えることがあります。拘束されるこ と押さえつけられて注射されること、隔離室に入れられること閉鎖病棟に 閉じ込められること、どこに住むべきかどの薬を飲むべきか命じられるこ と、こうしたことは強烈な怒りと屈辱を生み出し、そして過去の虐待の記 憶による苦しみを悪化さえさせることは容易に理解できます。サービスの 利用者は強制的介入の体験、とりわけ隔離室に入れられること、身体拘 束、抗精神病薬そして電気ショックなどを恐怖を持ってふりかえることは よくあります。経験的に利益よりも害のほうが大きいと分かっている介入 に強制的に屈服させられることは二重の侵害です。 *信頼の喪失 強制は精神保健サービスへの信頼を根こそぎに奪ってしまうこともありま す。300人以上のサービス利用者に対するアメリカの研究では非自発的入 院を体験したサービス利用者の55%は強制を恐れるが故に精神保健サービ スを避けていると回答しています(Campbell et al,1989)。これに加え て、法的に強制に屈服させられていない利用者にとっても、強制の使用の 可能性あるいは強制を使うという脅しは精神保健サービスの自発的基盤を 切り崩ずしてしまいます。英国の500人のサービス利用者に対する調査に おいて、法的に強制されていない患者の44%が、自分たちが本質的に自発 的な地位にあるとはみなしていませんでした。(Rogers et al,1993)。 自発的なサービス利用者に対してより少ない資源しか提供されない  より多くの強制が使われれば使われるほど、強制的なサービス利用者に 対してのみ特別により多くのサービスと資金が提供されるようになるおそ れがあります。そしてそれにより自発的サービス利用者にとってはサービ スを利用することが困難になる結果すら生じかねません。そしてこの悪循 環の中で、確実に人にサービスを受けさせるためにさらに強制の使用が増 加するという結果もありうるのです。 *烙印と差別  自発的なサービス利用者よりも強制的なサービス利用者のほうが強烈な 烙印を押されます。強制下にある人は投票できないこともあり、公務員に なれないこともあり、外国に入国できないこともあります。そしてまた強 制が存在自体が、狂人は無力な犠牲者であるかあるいは狂った犯罪者のど ちらかで、狂人は自分自身のすることに責任をもてないというメッセージ を社会一般に与えることにもなるのです。

第2部 強制を減らしあるいはなくす様々なやりかた

 ユーザー・サバイバーが強制を減らすことあるいはなくすことを求めて いることは明白です。この要求に従い立法者、官僚そしてサービス提供者 はいかにして精神保健サービスで強制の使用を減らすかそしてなくすかを 考えなければなりません。そのための究極の道は長い入り組んだ法改正の 過程を経なければなりません。しかしそれまでの間にも精神保健サービス を計画し、資金を出し、監査しそして運営する人たちが強制の使用を減ら していくために使える多くのやり方があります。 精神保健サービスにおける回復(recovery)の文化  多くの国でユーザー・サバイバーは精神保健サービスの中で回復への取 り組み(recovery approach)を作り上げにし促進してきています。ユー ザー・サバイバーによって作り上げられた回復への取り組みは強制を伴っ て機能することは困難です。回復への取り組みのもとにある中心的な価値 は自律あるいは自己決定です。それゆえ自律あるいは自己決定を制限する いかなるサービスの対応も回復の文化からは生まれないのです。 *個人の持つ解決能力  回復への取り組みの基本には、ユーザー・サバイバーは自分自身の人生 にほとんどの場合責任を取ることができるという信念があります。伝統的 な精神保健サービスや精神保健立法の信念とこの点が違うのです。つまり 伝統的なサービスなどではユーザー・サバイバーは個人的責任能力を奪う こともある病態の犠牲者であると信じられているのです。個人の持つ解決 能力を信じることは希望や動機付けを育て、そしてサービスの利用者で あっても自分の人生を引き受けることを認められる態度を育てていきま す。 *精神保健サービスにおける平等とパートナーシップ 回復指向のサービスは積極的に自律と自己決定の権利も含め利用者の権利 を守ります。こうしたサービスにおいては、伝統的なサービスにおいて本 人以外の人たちがよりよく知っていると決め付けられているのとは違っ て、サービスの利用者の考え方や好みが最大限に重要とみなされます。平 等とパートナーシップはサービス提供のあらゆる場面において反映される 必要があります。個々人のサービス利用者とサービス提供者の間の相互作 用は関わりあう双方が持っている知識と専門的技術への相互の尊重に基づ かねばなりません。ユーザー・サバイバーが方針、資金そして運営を決め なければなりません。また同時に伝統的サービスにおける「我々」と「彼 ら」の上下関係のある分断を破壊していけるように、ユーザー・サバイ バーが精神保健従事者の仲間に入っていく機会提供も必要です。 *モデルと治療の選択肢の多様性  ユーザー・サバイバーのほとんどは生物学的モデルは限界があるあるい は回復に役立たないとみなしています。強烈で力のみなぎった狂気の体験 に対して生物学的モデルは非常に否定的で価値を低下させる説明しか提供 しません。精神保健サービスにおいて確実に入手できる唯一の治療手段は 薬です。しかしユーザーサバイバーのピアサポート(仲間同士の支え合 い)、精神療法そして代替療法への要求は全く満たされていません。これ に対して、回復指向のサービスはユーザー・サバイバーが役立つと考える 多様なモデルや療法をはるかに柔軟に折衷主義的に受け入れます。その結 果、異なった文化、共同体そして生活スタイルをもつ多様な人々に対して サービス提供しているのだという認識に基づきサービスはより多様な療法 と支援を提供するようになるのです。 *市民権と社会的統合の強化促進  回復指向の精神保健サービス体制は、伝統的なサービスとは違って、精 神保健体制の外でそして自分自身の交際関係の中で良い生活を築いていけ るように支援することをとても重要な役割とします。こうしたサービスに おいては、精神保健上の問題を抱えた人は社会の中でもっと尊重される場 所があれば、強制に屈服するおそれは少なくなるだろうと考えられていま す。強制を減らす一つのやり方は彼らの社会的地位を高めることです。毎 日を楽しみ、家族や地域社会に尊重され、それなりの住宅、仕事そして収 入を持っている人は再発の可能性は低くなるでしょう。そして再発したと してもこうした人は強制を避けるのに必要な支援と権利擁護を得るより強 い地位にあるでしょう。 強制を減らしあるいはなくすサービスへの実践的方法  強制の使用を減らしなくす回復の文化を精神保健サービスの中で作って いくことは一夜にしてできることではありません。しかしサービスを計画 し資金を投下しサービスを提供する人々が即座にできる実践的な変革も幾 つかあります。 *反差別プロジェクト  精神保健上の問題を抱えた人に対する差別をなくすためにキャンペーン が役立っている国も幾つかあります。しかしこの種のプロジェクトは、 ユーザー・サバイバーは医学的治療を必要とする無能な犠牲者であるとい う仮説を支持する生物学的モデルをもとにしたメッセージである場合が多 いのです。こうしたキャンペーンは地域社会の妄想やユーザー・サバイ バーを強制に屈服させようとする圧力をおさめるのにはあまり役立ちませ ん。増加しつつある反差別プロジェクトはそのメッセージとして人権、社 会的統合、精神保健的問題を抱えている人の能力そして狂気の体験の有効 性を基本に据えたものです。こうしたプロジェクトは強制の使用に向けた 地域社会の圧力を減らすのにずっと成功するに違いありません。 *危機を避けること  精神保健サービスはいまだに危機的状態を優先的な対象としています。 しかし危機を予防するのに役立つ種類のサービス対応にもっともっと資源 が使われることが必要です。入院や薬から離れて、ピアサポート、精神療 法、代替療法、教育、仕事、住宅そして収入を得ることを入院や薬よりは るかに重要視するように、多くのサービス体制を作り直す必要がありま す。 *事前の意思表示  すべてのサービス利用者は回復への計画に積極的に参加する必要があり ます。そして再び危機的状態になったら、どのような種類の介入を望むの かそしてしてほしくない介入の種類は何かを文章化して意思表示しておく ことを、すべてのサービス利用者が奨励される必要があります。サービス 利用者はまた自分に代わり決定してくれるほかの人を指名しておくことも できます。強制的介入を受けさせられる人に対しては事前の意思表示を尊 重することを要件としない法的判断もあるのですが、道理のわかった専門 家であれば、サービスの利用者の選択に合うように適切に自分の権限を使 うことでしょう。 *より多くのよりよい危機的状態のための選択肢  危機的状態に対する標準的なサービスの対応は入院と薬です。しかし サービスの利用者の多くは病院を嫌っており薬を望まない人もいます。 サービスは危機的状態に対してもっと多くの選択肢を開発すべきです。た とえば自宅における危機対応サービスあるいはユーザーの運営する危機に 対応する家、そこでは薬よりも人間が人々を静め回復させるために活用さ れます。より多くの選択肢が提供されれば、専門家と危機にある人の間で 交渉の余地が広がりそして強制を手段とする機会は減ることでしょう。 *権利擁護  権利擁護とは、自由と平等な参加が他者による脅かされようとしている 人の権利を強化し保護しそして統合することです。権利擁護は個人と組織 的なレベルの両方で等しく開発される必要があります。権利擁護はより情 報公開的で、透明で人権に焦点をあてたサービス体制を創造していくこと を援助し、強制の使用を減らしていくべきです。強制医療と拘禁のための 組織的権限を強化しようとする地域社会の圧力に対抗するユーザー・サバ イバーの組織的な権利擁護体制の伝統がない国がたくさんあります。ユー ザー・サバイバーの権利擁護はいたるところで強化されなければなりませ ん。 *調停  サービスの利用者と専門家そして治療を受けさせたいと願っている他者 との間での交渉がうまくいかなかったとき、調停は強制の使用に訴えるこ となく相互に同意できる結論を提供できるでしょう。 *「攻撃性をしずめる」こと 精神保健従事者全員に要求される技術に以下のものが挙げられます。すな わち、差し迫ったユーザーの攻撃性を表すサインをそれと認めることので きる洞察力と、それと認識した上で、どんな形態であれ強制を必要とする 段階に至る前に「攻撃性をしずめる」技術です。同時に精神保健従事者 は、安全で、平等で、利用者が尊重される、そうした環境をすべての利用 者に保障するサービスを作り出す能力も求められています。  従来の「ユーザーの攻撃性をしずめようとする」やり方は、まさにその 強制に基づく過程そのものがユーザーの攻撃性や暴力を引き起こし得るの です。しかし精神保健従事者はほとんどそのことを考えてみようともして きませんでした。

結論

 ユーザー・サバイバーは強制の使用に対抗して自分たちの生きた経験を もとにした説得力のある注目すべき事実を明らかにしてきました。しかし 多くの国の立法者、政策決定者、精神保健専門家、法律家、人権活動家あ るいはメディアは私たちの強制に対する考えをまともに聞こうとしませ ん。国際レベルではユーザー・サバイバーは国連と世界保健機関が強制を 支持し続けていることに失望してきました。私たちはまた、指導的権利擁 護組織である世界精神保健連盟が、強制を認める国際機関の立場を支持し 続けてきたことにも失望してきました。  たとえば世界精神保健連盟は国連が「精神病者の保護と精神保健ケアの 改善に向けた原則」を作成するのに協力したの10年程前のことです。この 原則により国連メンバー各国は精神障害と診断された人の治療と入院拒否 の権利を制限することを承認されています。5年前精神保健連盟サンチャ ゴ大会の総会では、ユーザー・サバイバーが提案した地域での強制医療を 廃絶する決議が承認されました。しかし私の知る限りではこの決議はその 後の精神保健連盟のいかなる方針にも権利擁護活動にも反映されてきてい ません。  私は世界精神保健連盟理事会に対して以下のことを強く要請します。強 制に対する見解を再考し、最低限、隔離の廃絶、身体拘束と地域での強制 医療の廃絶に向けて具体的行動をとるべく、その無視できない影響力を使 うことを要請します。  今日の聴衆の多くは強制の廃止に向けての攻撃に挑まれることもなく精 神医療において強制を許容しています。しかし皆さんは人権を尊重する道 理のわかった人たちであるはずです。一般的には皆さんは人をいやしめる ような処遇、少数派の信念を持つ人への迫害、そして無実の人の拘禁を 嫌っているはずです。しかしどういうわけか精神障害と診断された人たち に対しては皆さんの自由に高い価値を置く立場は適用されるとは限らない のです。皆さんは官僚、サービス提供者、保健従事者、ボランティアそし て家族です。皆さんはそれぞれご自分の強制に対する考え方をお持ちで しょう。そしてそれは皆さんの権利でもあります。しかしこの問題に関し て最優先されるべき利害関係者はユーザー・サバイバーであることを皆さ んは認識すべきときです。この数十年間ユーザー・サバイバーは何百年も の見せかけの沈黙を破り自分自身の声をあげてきました。私たちの声が先 導しないなら、皆さんは強制を巡る公正で十分な議論に参加することさえ できないのです。 参考文献 省略 仮訳 長野英子 原文はこちらからダウンロード  このページトップへ ホームへ